先週の金曜日に国立新美術館で開催中のルノアール展、行ってきました。
ルノアールはおおむね招待券で行くため、 このブログでも3〜4回はご紹介しましたが、今回は見たことのない作品が多く、なかなか興味深い展覧会でした。
意外だったのは、この展覧会の目玉である「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」がサロンに出品されたということでした。
サロンは当時フランス最大の画壇で、日展や二科展など日本画壇もここをお手本に創設されたという、アートの巨大な権威でした。
サロンを落選したマネたちが、開催中の展覧会の隣で「落選展」を開催したのが印象派のはじまりですから、本来なら印象派の巨匠筆頭であるルノアールが出品するのもおかしな話です。しかもこの時、ルノアールは印象派展に出品していなかったというのも興味深いところ。
ルノアールは人の信頼を裏切るようなタイプではなく、ましてカラヴァッジョのようにケンカを好む人ではないので、これはどういったことでしょう。
その後もモネら印象派の画家と親交を結んでいたのですから、トラブルがあったわけでもなさそうです。
たぶん、ルノアール自身は印象派の画家という意識も、サロンの属しているといった意識もなかったのでないかな。モネのように、藁束を一日中眺めているようなことは、一切しておらず、淡々と道を極めていく優等生タイプの画家でしたから。
後世の人が、印象派にルノアールを位置づけしただけかもしれません。
順風満帆な画家人生を送っていったルノアールですが、50歳を過ぎた頃から持病のリウマチに悩まされます。
指も腕も動かなくなり、手に筆を縛り付けて描いた晩年の映像が館内に流れていたのが印象的かつ感動的なでした。
「よく手が動かないのに描けますね」
「絵は手で描くものじゃない、目で描くものだ」
と言った話は有名で、わたしも若い頃はこのセリフをよく使わせてもらいました。
ただ、実際にそうやって描いたルノアールの作品。
二重三重になったおなかの女性は、やはり全盛期のルノアール作品に及びません。
細かいところがどうしても描けないので、筆の線が上下にだけ動いていて、そこが味といえば味なのですが、やはり・・・
あれはルノアールブランドがあるから価値がある。
腕に筆を縛り付けて描いたエピソードとセットになっているところが、なきにしもあらずです。
でも、その姿はわたしの亡き父を思い出させました。やっぱり元のように描けなくても、何か心を打たれるものはあると感じたものでした。