昨日、銀行の凍結が解除された。
ご存知の方も多いと思うが、銀行は口座の名義人が亡くなるとわかると、即座に口座を凍結する。
うちももそれは知っていたので、はじめから少しずつおろしていけば良かったのだが、
親爺の場合、また退院できると思っていたので、それを怠ってしまったというわけだ。
葬儀やら何やらで、物入りの時に口座を使えなくさせるなんて、
いかにも晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる、銀行さんのやりそうなことだが、
悪いヤツが勝手にお金をおろす可能性もあるわけだから、
銀行の立場としては、それもいたしかたなしといったところか。
ただ、いくつかある書類さえそろえれば、即日お金はおろせるようになる。
(それが、いかんせん面倒くさい)。
中でも、「15歳から死亡時までの一連の戸籍謄本」というのが面倒で、
大抵の人は引っ越しのひとつやふたつ、経験しているので
複数の市役所や区役所をまわらないといけないわけだ。
で、先週から今週にかけて、合間を見て書類を取りに行っていた。
親爺は浅草生まれで、江戸川区の平井に住んでいたことがあったので、
赤坂支所以外では台東区役所と江戸川区役所に行けば、すべて書類が揃うはず・・・そう思っていた。
ところが江戸川区役所で謄本を見たところ、栃木県佐野市という、
今まで、うちとは何の関係もなかった場所に親爺の戸籍があるとわかり、びっくり!
郵送で取り寄せられるというので、先週の終わりに市役所に電話して方法を聞き、
お願いした書類がようやく一昨日、実家に届いたのだ。
親爺は佐野で暮らしたことはなかったみたいだが、亡くなった親爺の姉さん(私の叔母)が、
一度佐野に養子に出されたものの、先方の家で長男が生まれたのだ出戻ってきたという、
色々ややこしい事情があったようだ。
さらに戸籍謄本を見て驚いたのは、今まで聞いたことのない親爺の兄弟が2人もいたことと、
42歳で早世した父の父(私の祖父)房太郎さんが、父の母(私の祖母)と結婚する前に
誰かと離縁していたらしく、それも戸籍に明記されている。
いや、親爺と違って房太郎さんは、粋な遊び人だったと聞いていたが、
世の中、知らないことは多いものである。
ところで佐野市役所の電話で話をした担当者はコグレさん。
もともと木暮や小暮は栃木の名前なんだそうです。