昨日は毎年恒例の旧赤坂小学校のクラス会を、エリックサウス紀尾井町店で行いました。毎年やっていてメンバーもほぼ一緒なので、いつもは昔話もさほど出ないのですが、今年は心臓の大手術から生還してきた友達がいたこともあってか、小学校時代の話で大盛り上がり。
亡くなった友だちはけっこういるのですが、大病からの生還という人は初めてで、鉄板の病気じまんは彼に軍配。胸のあばら骨をすべて切るという心臓の手術だったそうで、入院33日間ですから、それは大手術だったのですが、本人は前より顔色も良く元気だったので、まあ一安心。
よく「クラス会に出られるのは社会のステータス」みたいな声も聞きますが、わが旧赤小はあまり関係ないようで、そもそも社会人として定年も近かったりしますからねえ(笑)。
面白いのが、当時の先生についての評価や好ききらいが、人によってまちまちなことですね。わたしが大きらいだった音楽の先生は、何人かの女子は「あの先生で良かった」なんて言っていて、こんなに先生というのは人によって受け方が違うのかと思いました。
学芸会で担当する楽器は、それぞれにランキングがあって、やはりピアノとかフルートなどは一番できる子が担当します。
私は最初、大太鼓をまかされたのですがリズム感がわるかったので、すぐに降格されてサンドペーパーをシュッシュッと擦る担当にされてしまいました(汽車の音楽だったので)。
ホントは担当楽器にランキングなどないはずなのですが、そこは子供の世界。
おうちに帰って、大太鼓を降ろされ、サンドペーパーに降格されたことを「気楽でいいや」と母に言ったところ、「アンタ! なに情けないこと言ってるの」と激怒されてしまい、そこで長い長いお説教。
いや、あの時のホンネを言えば、大太鼓で正確に合わせないといけないのが苦痛だったのですね。
「小暮、お前は本当にリズム感がないのう!」と言われ、もともとセンスがないのに加えて、あれこれプレッシャーを与えられていたので、余計身体が固くなってできなくなったという次第です。
それにしても、お前は本当にリズム感がないのうはあまりに直球だよね(笑)。
本当でも、そこまで言うかって感じですが、当時はまあそれが当たり前でした。
今思えば、才能のなかった音楽の世界に行かずに済んで、かえって良かったといえるかもしれません(真顔)。
後年、20代になって教員を2年勤めましたが、逆に私もそのようにまだらな評価を受けていたんだろうな。あんまり良い先生とは言えなかったのでなおさらです。
ほかにも、学級委員を誰がいつやったとか、他愛もない話ですが、当時の教員現場のことも検証できて、そこはそこで興味津々。
17:30にはじまり、店を出たのが22:30。
その後、メンバーの大半が二次会までつきあい、解散は23:30でした。
また来年もやりますので、旧赤坂小学校卒業生のみなさま。
何卒よろしくお願いします!