
写真は日曜に、大宮ソニックホールで行われた木下式音感教育のコンサートのようすです。
麻奈先生にご招待され、はじめて拝見しましたが規模が大きいのにびっくりしましたが、
それ以上に子供たちの真剣なようすには心打たれるものがありました。
独唱していた女の子の中には、はじまる直前の場内の泣き声に動揺したのか、
途中音程が定まらず、声が裏返ったり、歌詞を忘れたりして、歌声が泣き声に変わってしまったり。
でも最後まで歌ったこの子におぢさんは感動です。
あとで聞いたら自閉っ子も大勢いたそうで、やっぱり発達障害者も発達するんですね。
常識はくつがえるという好例でしょうか。
以下、この記事に関しての麻奈先生のコメントです。
やや長文ではありますが、大変良いことが記されていますので、ぜひご拝読を!
昨日はありがとうございました。
初めて、子どもが大勢いる音楽会に来られて、
幼児がいかにうるさい生き物かと辟易されたのではないでしょうか。
幼児は、言葉を教えなければ、動物と同じです。
できることは泣くことだけ。それは、たとえ発達障害がなくても、同じです。
何の問題もなく生まれても、乳児から幼児になる段階に、
言葉を教え、生きる方法を教えなければ、
健常児も発達障害も動物の子どもとかわらないのです。
そういう意味で、音楽会のロビーは未就園の子どもたちも多く、
うるさかったと思います。
しかし、残念ながら、これが、日本の幼児、児童の教育現場の実情です。
長年、子どもがしたいようにさせるのびのび教育が続いたからです。
それに反して、舞台の上の子どもたちは、45年間、変わらない木下式によって、
「一生懸命、物事に取り組む気構え、意欲、姿勢を教えられているため、
舞台の上では立派な姿を見せることができます。
これが、教育の成果です。
中には、発達障害、自閉傾向がある子も大勢います。
しかし、「この子は自閉症だから」と教育を諦めたら、その子は、一生、そのままです。
人間として生きることを諦めなければなりません。
どんな事情がある子供も、変化をさせられることは、可能です。
但し、それを、一緒にいる大人があきらめてしまったのでは、子どもに未来はありません。
それから、舞台の上で立派にしていますが、舞台をおりて、親元に帰れば、普通の子どもです。
わがままもいい、泣くこともあります。
みんな、ふつうの子どもです。
もう一つ
独唱で泣いた子・・・。初めてご覧になった方は、とてもかわいそうに見えることと思います。
しかし、私は、抱きしめてヨシヨシしたりはしません。
独唱に選ばれた子どもは、言葉が達者で美声の持ち主ばかりです。
選ばれたということは、同学年の中で、発達の早いお子さんという意味です。
その幼稚園の代表です。選ばれて、「自分は特別」という気持ちを持ったかわりに、
果たさなければならない責任もあります。
そのためには、もっと精神を鍛えておかなければなりません。
自分が万全にできなかったときの建て直しまで、踏み込んで教えられなかった大人の責任です。
音楽で自分の力を100パーセント出すためには、精神力や強さも必要です。
大事な舞台で失敗したのは、かわいそうですが、音楽はやり直しがききません。
それは、子どもでも、同じです(ここが、木下式が厳しいといわれるところですが・・・)。
療育の世界を拝見すると「褒めて、褒めて成功体験を持たせる」と言われますが、
人間、褒めただけでは、成功しません。
おごりが出るからです。
特に障害のある子どもは、顔色を見るのが、うまいです。
誰が守ってくれて、誰が厳しいか見抜いて、すりぬけていく力を持っています。
適時に褒め、適時に叱り、適時に褒めて、成功すると、初めて、成功体験となります。
うちの自閉っこ(と言っても、私は自閉症だと思ってつきあっていませんが・・・)も、
練習で失敗したら、叱り、成功したら褒めて育ててきたので、
独唱は他の子と変わらない立派な姿で上手に歌って見せました。
ただし、合唱では行儀が悪く、一箇所、一人だけ、飛び出してしまいました。
舞台が終わって、家族総出で、私のことを神様に感謝するかの如く、
お礼を言われましたが、
「独唱は上手にできましたが、
合唱の時も、他の人と同じように取り組めるようにしていくのが、私たちの課題です」と伝えました。
これでよしにすると、発達は止まってしまいます。
言葉も分からない幼児たちに、こういうことを求めると、厳しい教育と言われるのですが、
それが、34回、教育の成果を発表できる根幹でもあります。
