昨日は話題の『田中一村展 奄美の光 魂の絵画』に行ってきました。最近見た展覧会ではダントツで一位(私ランキング)、素晴らしいの一言でした。
最初に田中一村の名を知ったのは、1980年代後半のサラリーマン時代。
当時の伊藤社長から画集を見せてもらった時でした。この数年前に日曜美術館で紹介され、ちょうど名前が浸透してきた頃ですね。
それから30年あまり経った今、はじめてこの画家の作品を一堂に介した展覧会を見ることができました。
展覧会は文字通りの大回顧展。
6歳から20代の作品(展示は1F)、千葉時代の作品(2F)、奄美時代の作品(3F)の3章に分かれていましたが、そういえば田中一村で奄美以外の絵って、ほとんど見たことなかったな。
6歳から10歳の作品は、まさに神童。
ピカソに勝るとも劣らない神童ぶりでした。
8歳の絵、私より上手だな(苦笑)。
栴檀は双葉より芳しと言いますが、10代後半くらいの絵からすでに一村スタイルの片鱗が見えるのはさすがです。
千葉寺(せんようじ)に移り住んでからの絵は、仏画があったり南画があったりと、一村のイメージとかけ離れた作品も多かったですが、これまたなかなかの充実ぶり。
日展や院展に出品しては、落とされた不遇の時代でもあったようです。
田中一村といえば孤高の画家というイメージで、画壇などには目もくれなかったように勝手に思っていましたが、いや〜そうでもなかったのですね。
今から見れば、どう考えても画壇に好まれるタイプの画家ではないのですが、発表の機会が限られていた時代ですから、どうしてもその必要があったのでしょう。
友達や知人に助けられ、障壁画や天井画などの仕事をもらった作品がいくつもあり、その御礼の手紙なども展示されておりました。
経済的に助けられた人のようですが、生活はそんなに楽ではなかったのでしょう。
それにしても田中一村の作品は日本画には珍しく、余白がありません。
画面の隅々までびっしり描かれており、これが日本画壇に合わなかったのかもしれませんね。
さて、見たことのない幼年期、青年期、千葉寺時代の絵を見たあとは、いよいよ3階に上がり、奄美に移り住んでからの作品を鑑賞です。
いや、こ、これは…。
何と言葉を失うほどの素晴らしさ。
それはまさに神の領域に入った世界です。
時代順に展示し、奄美の絵を最後にしたわけが理解できました。
今までの絵は、すべて奄美の作品を描くための下準備だったのか?
まさに、そう思ってしまう到達感。
命を削って描いていたのでしょうか。
いや〜、これを描いたら長生きはできないわ。
もはや言葉は不要、展覧会は12月1日までやってますので、ぜひ足を運んで本物をご鑑賞くださいませ。
見終わったあと「素晴らしかったね、もう一度行きたいね」と妻に言ったら、見知らぬ女性から、「そうですよね、もう一度見たいですよね」と言われました。